はなわの本名や年齢、名曲『佐賀県』や嫁、息子の柔道と現在とは?
ベースを弾きながら歌う『佐賀県』で2003年にブレイクし、その年の紅白歌合戦にも出場したはなわ。最近は、柔道3兄弟の父親として、そしてプロレスラーを目指す長男の父親としても注目されています。この記事では、プロフィールと兄弟関係、ヒット曲、妻・智子との歩み、息子たちの進路、そして横浜での現在までを整理します。
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はなわは、ベースを弾きながら歌うネタで知られるお笑い芸人・ミュージシャンです。プロフィールは次のとおりです(年齢は2026年10月時点)。
- 本名:塙 尚輝(はなわ なおき)
- 生年月日:1976年7月20日生まれ、50歳
- 生まれ:埼玉県春日部市(佐賀県育ち)
- 学歴:佐賀県立佐賀東高校、専門学校東京アナウンス学院 お笑いタレント科を卒業
生まれは埼玉県春日部市で、2歳ごろに千葉県我孫子市へ移り、小学6年生のときに佐賀県佐賀市へ引っ越しました。『佐賀県』を歌っていますが、生まれは佐賀ではありません。検索候補に「佐賀県 出身」「嘘」が並ぶのは、このあたりが理由とみられます。佐賀で育ったのは小学6年生からで、高校卒業までを過ごしています。
家族は男3人兄弟で、はなわは次男です。兄は一般の方で、弟は漫才コンビ・ナイツの塙宣之です。検索候補に「ナイツ 兄弟」「弟 芸人」が多く並ぶように、兄弟そろって芸人であることはよく知られています。はなわが音楽ネタで、弟が漫才で、と同じお笑いでもまったく違う道でそれぞれ売れた兄弟です。
はなわは1996年に芸人として活動を始めました。高校を出て上京し、お笑いの専門学校で学んだのが出発点です。2026年で芸能生活は30年になります。
はなわの『佐賀県』の歌詞と紅白、売上は?
はなわの名前を全国に広めたのが、2003年5月21日発売のシングル『佐賀県』です。オリコン最高5位を記録し、約25万枚を売り上げました。佐賀の「ないもの」や地味なところを自虐的に並べながら、どこか故郷への愛情が伝わる歌詞が受けました。ベース1本で淡々と歌い上げるスタイルも新鮮で、この年の第54回NHK紅白歌合戦に初出場しています。
2004年には、持ちネタだったガッツ石松の伝説を歌う曲が『伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜』としてCDになりました。
その後しばらくCDの発売はありませんでしたが、2017年5月24日に、約13年ぶりの新曲『お義父(とう)さん』を出します。妻の智子は、生まれてすぐに父親が家を出ていき、母と姉の3人で育ちました。そんな妻の家族を題材に、家を出ていった義父への思いを、妻への感謝とともに歌った曲です。検索候補に「泣ける」が並ぶように、多くの人の涙を誘いました。この曲は第59回日本レコード大賞の企画賞を受賞しています。
2019年2月20日には『埼玉県のうた』を発表しました。映画『翔んで埼玉』の主題歌で、映画は興行収入30億円を超えるヒットになりました。生まれた埼玉と育った佐賀、どちらの県の歌も手がけているのは、はなわならではです。
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Amazonで探すはなわの嫁の病気や入院の真相と結婚は?
はなわの妻は、佐賀の地元の先輩だった智子です。遠距離恋愛を経て、東京で一緒に暮らし始めました。
検索候補に「嫁 病気」が出てくる理由の一つが、結婚前のできごとです。東京で同居を始めたあと、智子はストレスや疲れから婦人科系の病気になり、医師からは「このままだと子どもはできにくい」と告げられました。売れない芸人との暮らしを負担に感じた智子から「もう別れる?佐賀に帰るよ」と言われたとき、はなわは「この人を絶対に守らなきゃ」と思い、子どもができなくてもかまわないと結婚を決めたと語っています。
2人は2000年に結婚し、同じ年に長男が生まれました。当時のはなわは月収が5万円ほどで、妻の実家からは芸人をやめるよう強く言われたそうです。それでも智子だけは、はなわが売れると信じていたといいます。
なお、検索候補には「嫁 入院」「退院」も並びますが、智子本人が最近入院したという公式な発表や報道は見つかりませんでした。2026年に手術を受けたことが伝えられているのは、智子の母(膝の手術)と、はなわ本人(白内障の手術を受けると報告)です。2025年には結婚25周年を迎え、夫婦で「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー2025」の芸能部門を受賞しました。
はなわの息子のプロレスや柔道、三男の高校は?
はなわ夫妻には3人の息子がいます。長男の元輝、次男の龍ノ介、三男の昇利で、3人とも柔道に打ち込み、日本テレビ系『有吉ゼミ』の「柔道3兄弟」の企画で知られるようになりました。
長男の塙元輝は、中学時代に全国大会3位、佐賀工業高校では3年のときに高校総体の佐賀大会で優勝し、国士舘大学の柔道部に進みました。大学卒業後は膝のけがもあって選手を引退し、山口県の大学で講師として柔道を教えていました。そして2026年3月10日、全日本プロレスに練習生として入門することが発表され、4月1日付で入門しました。東京五輪の金メダリストで、柔道からプロレスに転じたウルフアロンに刺激を受けたといい、会見では「スターになりたい」と語りました。全日本プロレスの福田剛紀社長は、恵まれた体格と柔道の経験を生かしてほしいと声をかけたと説明しています。プロレスファンでもあるはなわは、「頑張れ」とエールを送っています。入門後は、妻子と暮らす自宅から道場に通っています。
元輝は2023年5月5日に結婚し、2024年8月21日に第一子の男の子が生まれました。はなわにとっての初孫です。検索候補の「孫 誕生」はこのことです。
次男の龍ノ介は、柔道ではなく芸術系の高校に進みました。三男の昇利は柔道を続けており、2022年の時点で小学6年生、体重76キロと紹介されています。計算上は2026年春に高校に進む学年で、検索候補には「三男 高校合格」も並んでいますが、進学先は公式には確認できませんでした。
はなわの横浜への引っ越しの理由と現在の活動は?
はなわ一家は、住む場所を何度か変えています。東日本大震災のあと、三男が生まれたころに、東京から佐賀へ家族で移りました。夫婦はもともと佐賀で子育てをしたいと話していたうえ、智子が地震への不安を強く感じていたことも決め手でした。その後約10年、はなわは仕事のある東京と佐賀を行き来する生活を送ります。
検索候補の「横浜 引っ越し なぜ」の答えは、新型コロナです。コロナ禍で東京と佐賀を行き来できなくなり、2021年8月に家族で神奈川県横浜市へ移りました。
現在は、YouTubeの「はなわチャンネル」で家族の日常を発信しているほか、2025年11月22日には子育てをつづった本『柔道3兄弟と天然ママと僕 はなわの楽しい子育て』を出しました。「子どもに勉強しろと言ったことがない」という子育ての考え方も話題になっています。
2025年2月には、TBS系のバラエティ番組の佐賀県特集にも出演しました。2020年には、佐賀出身のタレント・江頭2:50を佐賀県の大使にしてほしいと熱望し、県議会で話題になったこともあります。故郷の歌で世に出た人が、今は家族の姿で多くの人に知られている。芸能生活30年で、はなわの見せ方は大きく広がりました。
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