米米CLUBのメンバーや石井竜也の若い頃、『浪漫飛行』の秘話は?

並外れた演奏力と歌唱力を持ちながら、豪華絢爛な舞台美術とダンス、抱腹絶倒のコントまでを融合させた究極のエンターテインメントバンド・米米CLUB(米米クラブ)。フロントマンのカールスモーキー石井(石井竜也)を中心に、時代を超えて愛される『浪漫飛行』やダブルミリオンを記録した『君がいるだけで』など、J-POP史に燦然と輝く金字塔を打ち立ててきました。この記事では、米米CLUBの個性豊かなメンバー構成やバンド名の読み方・由来をはじめ、石井竜也の若い頃や妻マリーザと娘の話題、名曲誕生の裏側、1997年の解散理由から復活後の現在のライブツアーまでを詳しく紐解きます。

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米米CLUB(米米クラブ)のメンバー構成や読み方、バンド名の由来は?

米米CLUB(読み方:こめこめくらぶ)は、1982年に東京・御茶ノ水の専修学校「文化学院」の映画研究会(サークル)に所属していた仲間たちを中心に結成されました。1985年10月にシングル『I・CAN・BE』でメジャーデビューを果たして以降、ロック、ファンク、ソウル、ラテン、歌謡曲を飲み込んだ大所帯バンドとして唯一無二の地位を築いています。まずは主要メンバーのプロフィール(年齢は2026年10月時点)を整理します。

同世代の爆風スランプなどと共に1980年代後半〜90年代のバンドブームを牽引しましたが、米米CLUBの最大の特徴は「バンドの中にダンサーチーム(シュークリームシュ)と本格的なファンク・ホーンセクション(BIG HORNS BEE)が常駐している」という点にあります。アース・ウィンド・アンド・ファイアーやジェームス・ブラウンといった本場のブラックミュージックへの深い造詣を土台にしつつ、日本の祭りや演劇の要素を融合させたスタイルは、後のJ-POPグループにも計り知れない影響を与えました。

米米CLUB(米米クラブ)石井竜也の若い頃や結婚、娘は?

バンドの顔であり、抜群の歌唱力とトーク力、さらには美術家としての才能まで兼ね備えるのが、カールスモーキー石井こと石井竜也です。

若い頃の石井竜也は、もともと画家(芸術家)を目指して上京し、文化学院の美術科で油絵やデザインを学んでいました。端正なルックスと甘いマスクに加え、一度聴いたら耳から離れない伸びやかで艶のあるバリトン〜テナーボイスはデビュー当時から際立っており、音楽番組でMCと丁々発止のマシンガントークを繰り広げたかと思えば、歌い出した瞬間に空気を一変させるギャップで日本中の女性ファンを虜にしました。ステージセットの巨大なオブジェや奇抜な衣装のデザイン、さらには映画監督として『河童』(1994年)や『ACRI』(1996年)を制作するなど、マルチクリエイターとして若い頃から異彩を放っていました。

プライベートでは、1996年の自身の監督映画『ACRI』の撮影スタッフだったカナダ人女性のマリーザ(Mariza)と2001年に再婚しました。そして2002年には一人娘のサリーナ(愛称:サリー)が誕生しています。幼少期のサリーナは父親のライブステージにサプライズで登場したこともあり、成長してからも石井竜也のファンクラブイベントやメディア企画に家族で姿を見せるなど、国際色豊かで仲睦まじい家族関係がファンの間でもよく知られています。

米米CLUB(米米クラブ)の『浪漫飛行』の歌詞とJALのCM秘話は?

米米CLUBの楽曲の中で、世代を超えて最も広く歌い継がれているエバーグリーンな名曲が、1990年4月にリリースされた10thシングル『浪漫飛行』です。

実はこの曲、最初からシングルとして作られたわけではありませんでした。1987年に発売された3rdアルバム『KOMEGUNY(米国)』の収録曲の一つとして制作されたアルバム曲だったのです。当時、石井竜也が「まだ一度も行ったことがない沖縄の青い海と空」を想像しながら、わずか15分ほどでメロディと歌詞の骨格を書き上げたという逸話が残っています。

発売から3年後の1990年、日本航空(JAL)の沖縄旅行キャンペーン「JAL STORY 夏離宮 '90」のCMソングに抜擢されたことで運命が劇的に動きました。「トランク一つだけで 浪漫飛行へ In The Sky」というサビの歌詞と、メンバー自身が白い衣装で青い海の上を飛ぶ爽快なCM映像がお茶の間に流れるやいなや、レコード店に問い合わせが殺到。急遽シングルカットされると、オリコン週間1位・売上100万枚を超えるミリオンセラーを達成しました。現在もテレビ番組の旅ロケや高校野球の応援曲、さらに多数のアーティストによるトリビュートカバーを通じて生き続けるJ-POP屈指のスタンダードナンバーです。

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米米CLUB(米米クラブ)の『君がいるだけで』や『Shake Hip!』の魅力とは?

『浪漫飛行』と並ぶバンド最大のヒット曲であり、日本の音楽史に残る金字塔が、1992年5月に発売された13thシングル『君がいるだけで』です。

安田成美と中森明菜がW主演を務めたフジテレビ系月9ドラマ『素顔のままで』の主題歌として書き下ろされたこの曲は、「たとえば君がいるだけで 心が強くなれること 何より大切なものを 気づかせてくれたね」という温かく普遍的な愛のメッセージが日本中の共感を呼びました。売上枚数は実に289.5万枚(ダブルミリオン)に達し、1992年の年間オリコンランキング第1位、さらに第34回日本レコード大賞(ポップス・ロック部門)の大賞を受賞しました。

一方で、こうした王道ラブバラードとは対極にある「ライブバンド・米米CLUB」の真骨頂を示す代表曲が、1986年リリースの2ndシングル『Shake Hip!(シェイク・ヒップ)』です。ファンキーなブラスセクションと軽快なカッティングギターに乗せて、会場中の観客が一体となって腰を振り踊り狂うこの曲は、デビュー初期から現在に至るまでライブのクライマックスに欠かせない看板パーティーアンセムとして君臨しています。

米米CLUB(米米クラブ)の解散の理由やライブの反響とは?

人気絶頂を極めていた米米CLUBでしたが、1997年3月に東京ドームで2日間にわたり開催されたラストライブ『THE LAST SYMPATHY』をもって、惜しまれつつ一度解散しました。

当時の解散理由について、石井竜也は後年「『君がいるだけで』が約300万枚売れたことで、世間から求められる『優等生でバラードを歌う米米CLUB』のイメージが巨大化しすぎた。本来僕たちがやりたかったバカバカしくて実験的な総合芸術やファンクネスを追求することが難しくなり、バンドとしてのシステムやスタッフ規模も肥大化して身動きが取れなくなっていた」と率直に振り返っています。加えて、初期メンバーであったギタリストのジョプリン得能やドラマーのRYO-Jが1995年に相次いで脱退したことも、バンドが一つの区切りをつける大きな要因となりました。

しかし、解散から9年後の2006年、「もう一度純粋にメンバー全員で音楽とエンターテインメントを楽しもう」と期間限定で復活を果たし、そのままファンからの熱い要望に応えて「期間限定の撤回(完全復活)」を宣言しました。近年もTHE FIRST TAKEに総勢17名の大編成で登場して『浪漫飛行』『君がいるだけで』を披露し1,000万回再生に迫る大反響を呼んだほか、石井竜也のソロツアー『NYLON CLUB』やオーケストラコンサートと並行して、米米CLUBとしても全国ツアーを精力的に展開。世代を超えて愛される唯一無二のショーマンシップは、今なお日本の音楽シーンで比類なき輝きを放っています。

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