センチメンタルバスのメンバー現在は?赤羽奈津代の今と解散理由

『Sunny Day Sunday』の弾けるような疾走感と、ポカリスエットのCMソングとして夏を象徴するポップチューンで日本中を席巻したロックユニット・センチメンタル・バス(SENTIMENTAL BUS)。
高校野球のブラスバンド応援曲としても現在まで世代を超えて親しまれている彼らですが、ボーカル赤羽奈津代とキーボード鈴木秋則のメンバープロフィールや2000年の電撃解散の理由、そして現在の姿が気になる方も多いのではないでしょうか。
この記事では、センチメンタル・バスの結成から解散の真相、代表曲『Sunny Day Sunday』の誕生秘話、そしてメンバーそれぞれの現在の活動や結婚生活まで詳しくまとめました。

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センチメンタル・バスのメンバープロフィールや結成の経緯は?

センチメンタル・バス(SENTIMENTAL BUS)は、1998年9月にシングル『よわむしのぬけがら』でエピックレコードジャパンよりメジャーデビューを果たした男女2人組のポップ・ロックユニットです。登場と同時に独自の存在感を放ちました。

キャッチーで疾走感あふれるサウンドと、ボーカル赤羽奈津代のキュートで力強い歌声、そして日常のきらめきや切なさを独自の語感で切り取った歌詞世界で、1990年代末の音楽シーンを鮮やかに彩りました。

以下に、センチメンタル・バスのメンバー2名の役割やプロフィールデータをまとめた一覧表を掲載します。

メンバー名 生年月日・出身地 担当パート・楽曲制作における役割
赤羽 奈津代(あかばね なつよ) 1974年10月3日生まれ/神奈川県横浜市出身 ボーカル・作詞担当。ハツラツとした歌声とトレードマークになったアフロヘアでユニットのアイコンとして大人気を博す。
鈴木 秋則(すずき あきのり) 1974年7月2日生まれ/神奈川県平塚市出身 キーボード・作曲・編曲担当。疾走感あふれるポップなメロディとキーボードサウンドを創り出す。

ユニット名の「センチメンタル・バス」は、センチメンタルな感性とバス(乗合バス)のように色々な音楽的要素や感情を乗せて走っていくというイメージから命名されました。どこか懐かしく胸に響くネーミングセンスです。

もともとは音楽の専門学校で同じクラスだった赤羽奈津代と鈴木秋則が、授業の課題としてバンドを組んだのが始まりでした。課題のために組んだだけのはずが、赤羽のキャラクターの良さがそのまま持ち味になり、2人はそのままユニットとして活動を続けることを決意したそうです。

1998年9月19日にリリースされたデビューシングル『よわむしのぬけがら』は、全作詞を赤羽奈津代、全作曲を鈴木秋則が手掛けたオリジナル曲。テレビ東京系『TOWER COUNTDOWN』の同年9月度オープニングテーマにも起用され、幸先のよいスタートを切りました。カップリングには「Milky Way」を収録し、デビューシングルながら聴きごたえのある2曲仕立てでした。

センチメンタル・バスの代表曲『Sunny Day Sunday』のヒット秘話とは?

実はセンチメンタル・バスは、デビューからすぐにブレイクしたわけではありません。1998年の『よわむしのぬけがら』でメジャーデビューを果たしたものの、3枚目のシングルまではオリコンチャートの圏外という厳しい下積み期間が続いていました。

転機になったのは、当時所属レコード会社の宣伝担当だったジェーン・スー(後にコラムニスト・ラジオパーソナリティとして活躍)のアイデアです。ボーカル赤羽のヘアスタイルをアフロにイメージチェンジし、10代女性向けファッション誌への露出を仕掛けたところ、これが見事に的中。鈴木も「目立つしいいじゃん」と快諾したこのイメージチェンジをきっかけに、センチメンタル・バスの名を日本中に決定づけたのが、1999年8月4日にリリースされたメジャー4枚目のシングル『Sunny Day Sunday』です。

大塚製薬「ポカリスエット」のCMソングに起用されたこの楽曲は、イントロの力強いドラムパターンとキャッチーなキーボードのリフレイン、そして「39度のとろけそうな日」というあまりにも有名なサビの歌詞が絶大なインパクトを与えました。

オリコンシングルチャートで最高4位を記録し、50万枚を超える大ヒットを達成。夏の爽やかさと青春の熱気を凝縮したナンバーとして、リリースから四半世紀が経過した現在も夏の定番ソングとして親しまれています。

特に愛媛県の済美高校のブラスバンドが応援歌として演奏したことで一躍知名度が上がり、甲子園の風物詩として定着していきました。その人気の高さから2016年には「高校野球応援ver.」として楽曲が再リリースされるほどです。作詞は赤羽奈津代、作曲は鈴木秋則、編曲はセンチメンタル・バスとホッピー神山が手掛けており、ミュージックビデオには鉄腕アトムの効果音がサンプリングされているという遊び心も光ります。

センチメンタル・バス赤羽奈津代の現在や2000年解散の理由とは?

1999年から2000年にかけてヒットチャートの第一線を駆け抜けたセンチメンタル・バスですが、デビューからわずか2年余り経過した2000年12月31日をもって、惜しまれつつユニットを解散しました。

解散は公式ホームページ上で発表され、赤羽・鈴木それぞれの直筆コメントが掲載されました。具体的な解散理由は公式には明かされていませんが、率直な言葉で綴られたコメントからは、ネガティブな空気ではなく、それぞれが次のステージに進むための決断だったことがうかがえます。

ボーカルの赤羽奈津代は、解散後にミクスチャーバンド「Dt.」への参加や、「雨夏」という別名義での作詞提供など、形を変えながら音楽活動を続けてきました。プライベートでは2013年4月8日、ヒップホップグループ・餓鬼レンジャーのポチョムキンと入籍を発表。馴れ初めについてポチョムキンが「蝶々がめしべの花粉を運んで来てくれました」とユーモラスに語り、「オムツを替えあえるパートナーと出会うことができました! 祝!」というコメントも話題になりました。

キーボードの鈴木秋則は、1997年に中学時代からの音楽仲間である中村公紀と自宅録音専門レーベル「ひらつかレコード」を旗揚げし、代表として作曲家・編曲家・プロデューサーの道を歩んでいます。TOKIOの25thシングル『花唄』(2002年3月6日発売、松岡昌宏主演の日テレ土曜ドラマ『ナースマン』主題歌)や、hitomiの『Flow』など、他アーティストへの楽曲提供でもクレジットされており、解散後も音楽シーンの一線で活躍を続けています。

ここまで、1990年代末の日本のJ-POPシーンに眩しい夏の光を届けたロックユニット・センチメンタル・バスのメンバープロフィール、大ヒット曲『Sunny Day Sunday』の秘話、2000年の解散理由と現在の活動について詳しく解説してきました。デビュー曲の下積み時代から一気に甲子園の定番曲へと駆け上がった軌跡は、たった2年間の活動期間とは思えないほど濃密なドラマに満ちています。

解散から歳月が流れた現在も、それぞれの場所で音楽や家族を愛し続ける赤羽奈津代と鈴木秋則の足跡は、J-POP史に刻まれた黄金の1ページとしてこれからも眩しく輝き続けていくことでしょう。夏になるたび、あるいは球児たちの熱戦をテレビで見るたびに、あのイントロが自然と頭の中で鳴り出すという人も多いのではないでしょうか。

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