w-inds.(ウィンズ)の現在は?緒方龍一脱退とPiecesの今wiki

直前記事で松浦亜弥(あやや)のことを書いていたら、自然と夫である橘慶太、つまりw-inds.(ウィンズ)の話に流れていきました。
わたしは中学生だった頃、松浦亜弥のNACK5公開録音と並んで、深夜の音楽番組で見たw-inds.のデビュー映像が、いまも頭に残っている世代です。
特に橘慶太の声の高さには驚かされて、当時のわたしも中学生だったからギリギリ歌えたものの、いまは絶対に追えない高さで「Forever Memories」をテレビ越しに歌っていたのを覚えています。

w-inds.(ウィンズ)の本名と出身は?2001年デビューDA PUMPの後輩3人組

w-inds.は、2001年3月14日に「Forever Memories」でメジャーデビューした、男性3人組のダンス&ボーカルユニットです。
所属事務所はVision Factory(ヴィジョンファクトリー)、レーベルはpony canyonで、当時のDA PUMP(ダ パンプ)と同じ事務所の後輩グループという位置づけでした。
(出典:Wikipedia「w-inds.」項目・w-inds.オフィシャルファンクラブ「w-inds.day」Biography・2026年5月確認)

オリジナルメンバーは橘慶太・千葉涼平・緒方龍一の3人です。

> 橘慶太(たちばな けいた):1985年12月16日生・福岡県福岡市・メインボーカル
> 千葉涼平(ちば りょうへい):1984年11月18日生・北海道札幌市白石区・リーダー(ダンス&コーラス)
> 緒方龍一(おがた りゅういち):1985年12月17日生・北海道札幌市豊平区・ラップ&ダンス

橘慶太と緒方龍一は誕生日が12月16日・12月17日と1日違いで、グループ内の小ネタとしてもファンに愛されてきました。
3人ともデビュー時は10代後半の若さで、メジャーデビュー前の2000年11月から渋谷の歩行者天国でストリートライブを敢行。デビュー直前にはわずか半年で8,000人を動員する規模にまで成長します。
千葉涼平と緒方龍一の2人がそろって北海道札幌市出身、そこに福岡市出身の橘慶太が加わっての3人組という、地域ばらけ方も結成当時の話題でした。
(出典:w-inds.オフィシャルファンクラブ「w-inds.day」Biography・Wikipedia「橘慶太」「千葉涼平」「緒方龍一」項目・2026年5月確認)

DA PUMPとの関係は事務所の先輩後輩という以上のもので、デビュー当時のw-inds.の振り付けはDA PUMPのKENが担当していました。
ラップやダンスを徹底的にしごかれている練習映像が当時のテレビ番組で何度も流れていて、わたしは「KENさん怖そうだけど面倒見いいんだろうな」と画面越しに勝手に推察していた記憶があります。

ちなみにわたしは過去にDA PUMPの後輩関係で言うと、同じVision Factory系列で活動した三浦大知についての記事も書いています。
三浦大知はFolder5(フォルダーファイブ)のメンバーとして子役歌手デビューした後、声変わりの時期に一時的に芸能活動から距離を置いた経歴がありますが、w-inds.は声変わりの時期もグループ活動をそのまま続行したのが対照的でした。

w-inds.の橘慶太の高音とブレイクは?路上ライブから武道館までの加速度

w-inds.のメジャーデビュー直後の加速度は、いま振り返っても異常な速さでした。
2001年3月の1stシングル「Forever Memories」で初動から大きな話題を呼び、続く2nd「Another Days」、3rd「Try Your Emotion」、4th「Paradox」と切れ目なくシングルリリースしていきます。

特に2002年〜2003年あたりの橘慶太の高音域は、メインボーカルとしての武器そのものでした。
当時のテレビ歌唱では、伸びやかなファルセットからトップノートまでの幅が中学生・高校生の声域に近くて、画面の前で一緒に歌えるのが楽しかったのを覚えています。
(出典:Wikipedia「w-inds.」項目・2026年5月確認)

ところが2004年あたりから、橘慶太の声は急激に大人の声に変化していきます。
このタイミングで活動休止せずグループとしてそのまま走り続けた判断が、後の音楽プロデューサー橘慶太を生む土台になっていく、と振り返ると見えてきます。

2002年代表曲としては、4thシングル「Paradox」(2002年8月)、5thシングル「NEW PARADISE」(2002年11月)、6thシングル「BE AS ONE」(2003年1月)あたりが、当時の中高生男子の歌唱テスト曲としても定番でした。
わたしも友達のカラオケでw-inds.を選曲して、ハモリパートを取り合って歌った記憶があります。

w-inds.のPiecesはレトロジースタイルのカバー?フェットチーネグミとスキマスイッチ提供曲

w-inds.の楽曲のなかで、わたしが個人的に絶対に外せないのが、2004年3月10日リリースの11thシングル「Pieces」です。
これはじつは、当ブログでもっとも初期に取り上げたRetro G-Style(レトロジースタイル)のオリジナル楽曲「Pieces」のカバーなんです。
(出典:Wikipedia「Pieces (w-inds.の曲)」項目・2026年5月確認)

レーベルはFLIGHT MASTERで、ブルボン「フェットチーネグミ」のCMソングに起用され、メンバー3人がCMにも出演しました。
オリジナル版のRetro G-Styleはインディーズシーンの3人組で、本家「Pieces」はチャートのトップ50付近にようやく食い込む規模でしたが、w-inds.のカバー版はオリコン週間でも上位に食い込み、当時の音楽番組でも繰り返し披露された大ヒット曲となります。

カバーされた側のRetro G-Styleにとっても、これはかなり大きな出来事でした。
ヒップホップ/R&B寄りのインディーズ楽曲をw-inds.のような大手3人組がメジャーレーベルでカバーしてくれるという構図は、2000年代前半のJ-POP界では珍しい現象で、Retro G-Style側のシーンにも光が当たりました。

そしてw-inds.には、もう1つ語っておきたい楽曲提供エピソードがあります。
Piecesの直後、12thシングル「キレイだ」(2004年6月2日)は、スキマスイッチが作詞・作曲を手がけた楽曲なのです。

> w-inds.「キレイだ」 12thシングル 2004年6月2日リリース
> 作詞・作曲:スキマスイッチ
> その後スキマスイッチがセルフカバー → 2ndアルバム『空創クリップ』に収録

つまり、もともとスキマスイッチがライブで披露していた楽曲をw-inds.がアレンジを変えて先にシングル化し、後にスキマスイッチ自身が自身のアルバムでセルフカバーする、という珍しい流れが起きた1曲でした。
(出典:音楽ナタリー「w-inds.に提供した『キレイだ』はその後スキマスイッチ自身がセルフカバーし、スキマの2ndアルバム『空創クリップ』に収録された」・Wikipedia「キレイだ」項目・2026年5月確認)

PiecesでR&B系インディーズの楽曲をカバーし、キレイだでフォークデュオの提供曲を先にシングルとして出す──このあたりの楽曲ソース選びの幅広さが、ジャニーズ系男性アイドルとは違うw-inds.独自のポジションを作っていったと、わたしは思っています。

w-inds.緒方龍一の脱退理由は?2020年心身症公表と19年の幕引き

w-inds.は2010年代に入ってから、所属事務所がVision Factoryから流転した時期を経て、橘慶太のソングライティング能力を軸に、海外フェス出演などの新しい路線にシフトしていきます。
ところが2020年、デビュー19年目という節目で大きな発表がありました。

2020年4月、緒方龍一が5月31日付でグループを脱退し、所属事務所のライジングプロダクションとの契約も終了することを発表しました。
脱退の理由は、近年極度の重圧や不安を感じていたこと、医療機関で診療した結果として「心身症」と診断されたこと、と本人および事務所からの公式コメントで明らかにされています。
(出典:オリコンニュース「w-inds.緒方龍一が脱退&契約終了『心身症』を公表 2人で活動継続【コメント全文】」・音楽ナタリー「w-inds.緒方龍一がグループを脱退『19年間の誇りが自分の背中を押してくれるはず』」・2026年5月確認)

緒方龍一本人の脱退時コメントには、こんな一節があります。

> 「19年間の誇りが自分の背中を押してくれるはず」
>
> (音楽ナタリー掲載・2020年4月発表コメント・2026年5月確認)

ラップとダンスを軸に20年弱グループを支えてきた緒方龍一が、心身を守るために自らの判断で離脱したことは、応援していたファンにとっては大きなショックだったと思います。
ただ、「心身症」を本人がきちんと公表したうえで脱退に踏み切った姿勢は、2020年代以降の芸能界における精神的な健康への向き合い方の1つの先例として、いまでも語られる対応でした。

w-inds.の現在は?橘慶太・千葉涼平の2人体制と松浦亜弥の家庭wiki

緒方龍一の脱退後、w-inds.は橘慶太・千葉涼平の2人体制で活動を再スタートさせています。
2020年12月2日には新生w-inds.として配信シングル「Beautiful Now」をリリースし、これがコロナ禍真っ只中で受け取られた、新しいw-inds.の最初の楽曲となりました。
(出典:オリコンニュース「w-inds.緒方龍一が脱退&契約終了」・w-inds.オフィシャルファンクラブ「w-inds.day」Biography・2026年5月確認)

2026年5月現在、w-inds.は2人体制で楽曲リリースとライブ活動を続けています。
橘慶太は妻・松浦亜弥のプロデュース楽曲(2022年1月配信「Addicted」)も手がけながら、自身のシンガーソングライティングと家庭の両立を図っており、千葉涼平もダンス・振付の方向で活動を継続中です。

> 橘慶太(40歳):シンガーソングライター、松浦亜弥プロデュース、3児の父
> 千葉涼平(41歳):リーダー、ダンサー、新生w-inds.のツインボーカル
> 緒方龍一(40歳):脱退後は心身回復を最優先、SNS活動再開の動きあり

w-inds.の橘慶太は、Instagram公式アカウントで子育てや楽曲制作の様子をたびたび発信しており、千葉涼平もダンス系のSNS発信を続けています。
緒方龍一は脱退後しばらく完全に表舞台から距離を置いていましたが、2020年代後半に入ってからSNSや限定的なライブイベントで姿を見せる機会が出てきている、という近況です。

ところで、わたしが直前記事で書いた松浦亜弥(あやや)と橘慶太の馴れ初めは、w-inds.デビュー直後の2001年からの「12年愛」でした。
2026年5月現在、3児の母となった松浦亜弥がCMやポッドキャストでチラ見せする近況と、夫・橘慶太がw-inds.として現役を続けている姿は、平成アイドルと平成ダンスボーカルグループのカップルが令和を生き抜く姿として、わたしには本当に微笑ましく見えます。
中学生でNACK5公開録音にCD一枚握りしめて行ったあの頃から、もう20年以上経ちましたが、w-inds.の楽曲を流すたびに「Pieces」のメロディと、ピンクのw-inds.衣装と、レトロジースタイルのオリジナル音源が、頭の中でリンクし続けているのが、わたしにとってのw-inds.の現在地点なのです。

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