猿岩石のメンバーはどこへ?白い雲のようにから30周年の今とは?

猿岩石という名前を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。
ユーラシア大陸のヒッチハイクの旅でしょうか、それとも「白い雲のように」という曲でしょうか。

わたしは最近、あの曲がどこかで流れているのを耳にして、気づいたら夜中に調べ続けていました。
「白い雲のように」は1996年のリリースで、2026年はちょうど30年になる年です。
この30年の間に2人の行き先がどれだけ変わったかを、改めて追いかけてみました。

猿岩石とはどんなコンビ?広島から始まった電波少年ヒッチハイクの旅とは?

猿岩石のメンバーは、有吉弘行と森脇和成の2人です。
彼らは、広島県で小学校から高校まで同じ学校に通った幼なじみです。
2人ともに1974年生まれで、1994年4月に太田プロダクションで「猿岩石」を結成しました。
有吉がボケ、森脇がツッコミという役割で活動するお笑いコンビで、結成当初は関東に出てきたばかりの、ほとんど無名の2人でした。

転機が来たのは1996年のことです。
日本テレビ系バラエティ番組「進め!電波少年」の企画で、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断することになりました。
所持金ほぼゼロ、言葉もわからない異国の道端で車を止めながら西へ進んでいく旅が、毎週そのままテレビに映し出されました。

「進め!電波少年」は1992年から放送されていた日本テレビのバラエティ番組で、
アポなし取材や無茶な企画で知られていました。
猿岩石のヒッチハイク企画は1996年4月から始まり、10月の帰国までの半年間、週をまたいで放送され続けました。
著書「猿岩石日記」はベストセラーになり、旅を追った視聴者の熱量がそのまま書店でも動きました。

特別なスキルも実績もなく、ただそこにいてヒッチハイクをしていた2人の実直さが、多くの人に届きました。
企画に選ばれる前、2人は本当に無名だったにもかかわらず、です。
それがあんな大きな旅として記録されたことが、今でも少し信じられない気持ちになります。
また見返してみたくなりました(どこかで見れるのかな…?)

猿岩石の代表曲「白い雲のように」は売れた?1996年のミリオンセラーに込められた旅の意味とは?

帰国後の1996年12月21日、猿岩石はデビューシングル「白い雲のように」をリリースしました。
作詞は藤井フミヤ、作曲は藤井尚之が手がけており、兄弟ユニット「F-BLOOD」として活動していた2人が書き下ろしたものです。
日本コロムビアから発売されたこの曲の売上は113.1万枚のミリオンセラーを達成し、1997年の第39回日本レコード大賞で新人賞を受賞しています。

「白い雲のように」というタイトルの清潔さが、ヒッチハイクで地平線を渡った映像と不思議なくらいよく重なります。
旅から帰ってきた2人のために藤井フミヤが書き下ろした曲と知って聴くと、また少し違った聴こえ方がします。
年末のリリースも絶妙で、旅の余韻が残ったまま届いた一枚だったと思います。

この曲は2022年の第73回NHK紅白歌合戦で、有吉弘行がダチョウ倶楽部と純烈とともに歌唱しました。
「上島も喜んでおります」と有吉はコメントしており、同年5月に亡くなっていた上島竜兵への思いを語る場にもなりました。
翌2023年の第74回紅白歌合戦では、司会を務めた有吉が藤井フミヤと共演し、2年連続でこの曲を歌っています。

有吉は「涙が出てきちゃってさ…」と後に語っており、猿岩石時代の記憶がそれだけ深くあることがわかります。
30年前の曲が紅白の舞台で甦るのは、旅の記憶がそれほど特別だったからではないかと思います。

猿岩石はなぜ解散した?2004年に終わったお笑いコンビの理由とは?

猿岩石は2004年3月に解散しています。
理由は「方向性の違い」で、後に森脇和成が語ったところによると、
仕事終わりの車の中で「俺、辞めるわ」と言い出したのは森脇自身だったそうです。
有吉の返答は「うん、わかった」、それで解散が決まりました。

森脇はその時点で、すでに事務所に相談しないまま店舗経営を始めていました。
「芸人を一生続けていくのは無理だ」という気持ちが固まっていたということです。
有吉はお笑い芸人として生きることを選び、2人の向かう場所はすでに離れていました。

ブレイクした1996年から解散の2004年まで、8年間がありました。
お笑いで売れたわけでも、音楽で売れたわけでもなく、旅で有名になった2人にとって、その間の時間はそれぞれに重たかったはずです。
解散は突然の話ではなく、ゆっくりと2人の気持ちが決まっていった結果だと今は思います。

猿岩石の2人はその後どうなった?有吉弘行と森脇和成の現在とは?

解散後の有吉弘行は、長い低迷に入りました。
広島のローカル局への出演以外はほとんど仕事がなく、
ダチョウ倶楽部の上島竜兵らの世話になっていた時期があったそうです。
本人は「旅から帰ってから10年間、面白くないと言われ続けた」と語っています。

転機は2007年、テレビ朝日系「アメトーーク!」での一言でした。
品川庄司の品川祐に対して「おしゃべりクソ野郎」というあだ名をつけたことが大きな笑いを呼び、同番組の年間流行語大賞に選ばれました。
これを機に毒舌・あだ名のキャラクターで認知が広がり、
「かりそめ天国」「ロンドンハーツ」「有吉の壁」など多数の番組を担当するMCへと上り詰めました。
2020年には女優の夏菜との結婚も発表しています。

森脇和成は解散と同時に芸能界を引退し、実業家として生きていた時期がありました。
ブランド品の輸入販売会社で営業職をしていた2015年、
テレビ朝日「しくじり先生」への出演が芸能界復帰のきっかけになったそうです。
現在は劇団ノーティーボーイズに所属し、舞台俳優として年間3〜5本の公演に出演し続けており、
2025年8月に51歳を迎えました。

自分のことを「今世紀最大のじゃない方芸人」と自称しているのが森脇らしいところです。
インタビューでは「いつか紅白で『白い雲のように』を歌いたい」という夢を語っていましたが、
先に有吉が2年連続で紅白でその曲を歌い切りました。
遠くからそれを見ていた森脇が何を思ったかは、わかりません。

2人の現在の連絡状況について、森脇は「(有吉に)電話してもつながらない、メールの返事もない」と語っていました。
それでも「地元の誇りです」「本当にめでたい」と有吉のことを語る言葉には、遠くから見守っているような温かさがあります。
2人の間のことは外からにはわかりませんが、それぞれが自分の選んだ場所で動き続けていることだけは確かです。

猿岩石まとめ

猿岩石は1996年のヒッチハイク企画と「白い雲のように」で全国に知られ、2004年に解散したコンビです。
有吉弘行は10年近い低迷を経て、今や紅白の司会台に立つトップMCとなり、森脇和成は実業家を経て舞台俳優として生きています。
同じ旅に出た2人が、30年後にこれだけ違う場所にいるということが、なんとも感慨深いです。

「白い雲のように」は今でもどこかで流れていて、聴くたびにあのヒッチハイクの映像を思い出します。
あの2人の旅は、形を変えながら、今も続いているのだと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
コメントやご感想、お気軽にどうぞ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました